コロナ退院後の忘備録

前々回コロナに罹って入院したことを書いたので、ついでに退院後のことも書いておこう。暇なので長くなった。17日間コロナのデルタ株に罹患して入院し、最新の治療を施してもらい生還できた。感謝。

新患が増えてきたことと、見た目元気だったため、朝、PCR検査がマイナスになった途端、昼前には病院を追ん出された。それについての不満は全くない。食費も含め、医療費も無料だったしね。

這う這うの体でひとりタクシーに乗り込み、自分のアパートに戻るとすぐにベッドに直行した。元々買い溜め体質なので、生活には何も困ることはなかったし、宅急便で知り合いから援助物資も届き始めた。幸いなことにまだインターネットが使える世代である。Amazonやネットスーパーで水や栄養ドリンクなどを注文することができた。

Amazonで水とお茶を購入したらすぐに届いたのは良かったが、お茶の色が何だか変だ。ボトルの上部が変形してるし。賞味期限を見たらお茶も水も期限切れ3ヵ月前だった。どこかで長期間保管されていたのだろう。期限切れではないにせよ、元気なら苦情を入れて返品するところだが、そんな気力はなかった。その時からAmazonとは決別し、地元の生協に鞍替えした。高齢者や社会的弱者には生協は強い味方である。

臭覚に異常は出なかったが、味覚異常は退院後もしばらく続いた。味覚は消失するのではなく、異常になった。塩分が過剰に塩辛くなり、チーズなど少し舐めても岩塩を舐めているようだった。また常時口の中に薬臭い甘さがあり、水はポカリスエットのごとく、白米、白粥はポカリ飯、ポカリ粥となった。塩分のほうは早めに回復し、薬臭い甘さはそれより一週間くらい過ぎてから軽減し、少しずつ水の味がわかるようになった。からだの半分以上は水なのだ。からだを巡る水の味がわかる有難さよ。

退院しても熱は続いていたので、カロナールを一日三回服用していた。薬を飲まないと熱が上がる。寝ていても二時間おきにきっかりと目が覚める。耳元ではっきり「ピーンポーン」という玄関チャイムが聞こえ、起きてドアを開けると誰もいない。時計を見ると夜中の1時過ぎだ。この時間ではどう考えてもAmazonは来ないよな。いやにはっきりした幻聴だったな、などと考えてまた寝ると、再びチャイムがはっきり聞こえた。

ドアを開けると、黒髪の前髪ぱっつんで黒い服を着た韓国アイドルのような若い男の子が立っていて、足元には黒い子犬が三匹くるくると回っていた。

男の子は何やらぶつぶつと「黒い犬が、黒い犬が…」と呟いている。

「黒い犬がどうしたん?」と聞いても、「黒い犬が、黒い犬が…」と小声でもそもそ言うばかり。気持ち悪い奴だなとドアを閉めたら目が覚めた。今度は夢か。スマホで「黒い犬」の夢診断を見たら、「心理的な抑圧」や「病気」と書かれていた。当たってるがな。

それからなぜか、玄関を入った靴箱の前の空間に、1mくらいの大きさのもやっとした、何かとても気持ち悪い気の塊、というより表現のしようのないものが現れた。玄関を通ることも、靴箱を開け閉めすることも問題なくできる。それは動くわけでもなく、何の意思も感じられない。ただ気持ち悪い気の塊が存在しているのだ。私はそこに塩を撒き、盛塩などもしてみたが変化はない。

そもそも玄関ドアには、西国三十三か所の第一番札所である和歌山青岸渡寺の強烈な鬼のお札がはってあるし、壁には病期退散の鬼の絵も飾ってある。無敵な玄関なのである。

ただそこが気持ち悪いだけなので放置した。というか、どうしようもない。

2週間くらい経った頃から、徐々に熱が上がりにくくなってきて、水の味も蘇って食欲も増し、体力が回復してくるにつれ、玄関の気持ちの悪い気は少しずつ消えてなくなった。

私の場合、CT検査を見ると、肺にコロナ特有の花火のような炎症が飛び散っていたが、咳も出ず、呼吸も苦しくはなかった。しかし、脳がかなりやられた様子である。あれらは、認知症患者に現れる「せん妄」や「不穏症状」のような感じだったように思う。元々忘れっぽい人間なので、「若年性やな」などとよく言われているため、認知症には詳しいのである。今の時代だったらADHDとか言われるんだろうか。

というわけで、私の脳は生来のものに後遺症と加齢が加わって、風の谷のナウシカに出てくる、ペジテのガンシップに攻撃されたトルメキアの戦艦のごとくである。

「なんちゅう脆い脳みそじゃ」。

 

奈良の鹿さんではない、厳島神社の鹿さん。

自己肯定感は大事だな

記憶のごみを少しずつ片付け始めている。記憶の終活?書き始めてみると色々出てくるもんだな

確かに5歳くらいの時だったと思う。

両親と一緒に居間に眠っていたら、急に父親が私の横広がりの鼻をつまみ上げて言った。「もうちょっと、こうだったら良かったのに」。

と母が、「大丈夫。大きくなったら整形してあげる」と言った。

まだ芸能人でも整形している人などほとんどいない時代だ。

私は驚いて鏡台に走っていき、鏡に映る自分の顔をまじまじと見つめた。

私は父母のところに戻ると、両手で握こぶしを作って言った。

「これでええねん!」

そして大きな声でもう一度

「これでええねん!」と言った。

両親がどんな顔で聞いていたのかは思い出にないが、あの時のあの自己肯定感と言ったら! 

しかし、いつしか成長する抑制、人の比較が始まると、自分は他の子よりも大きくすぎて可愛らしくなく、顔もスタイルも賢くない、性格も嫌だと、自己否定の波の下に沈んでそのまま波の下で年を取り、まぶたも下がり、しわも増えて、そろそろプチ整形でもしたほうがいいんだろうか、などと考えたりして。

「これでええねん!」と叫んだ、あの時のあのマグマのように湧き上がった自己肯定感よもう一度。

 

原爆にも耐えた楠

 

 

骨が折れた。そしてコロナになった。

ブログを書かなかった期間、何事もなかったような気がしていたのだけど、書き始めるといろいろ思い出してきた。確か、2年前の夏にコロナに罹った。デルタ株とかいう初期の極悪バージョンだったと思う。

金曜日に定時きっかりタイムカードを打刻して、「そんじゃー良い週末を」とか言って事務所のドアを開け、10メートルも行かないうちに廊下で派手に転んだ。全体重が左腕に掛かったらしく、折れていた。利き腕でなくて良かったわいと思って病院に行ったら、脇の下から掌の半分くらいまでギブスを巻かれ、「あのね、ギプスをはめると不便なんだよー」と整形外科の医師が笑いながら言った。

不便ではあるが仕方ないさと思っていたら、1週間後にコロナになった。

発熱の仕方が風邪でないことはすぐにわかった。骨折を直そうと、体中の免疫細胞が左腕に集結したのでお留守になったのね。

解熱剤は普段から各種取り揃えているが、仕事を休まねばならんのであちこち電話を掛けまくって、ようやく市の救急センターで抗原検査を受けることができた。仮設テントの中で鼻の奥をぐりぐりされ、10数分後には「はい、コロナ出ましたー」と検査室の奥で声が聞こえた。

その後、何とか自宅にたどり着いたら、すでに救急センターから保健所に通報が入っていたらしく、1時間後にはコロナ専用救急車がお迎えに来て病院に連れていかれた。なんやらハイリスク人間に該当するのだと。高熱以外、咳もなければ呼吸が苦しいわけでもなかったのだけど、自宅にいたら急変するパターンだったようで、第4波と第5波の間だったので運よく入院できたらしい。

毎朝ヤクルト1本分の採血と、元トランプ大統領が受けたという点滴治療を2クールやって、一粒三千円の新薬を服用し、四日に一度CT検査を受け、ようやくPCRがマイナスになった。すると「んじゃ、これからすぐ出てって」とドクターが言った。「お迎えが・・」とか言うのも一切聞いてもらえず、一人でよろよろとスーツケースを引きずって17日目に娑婆に放り出されたのであった。コロナウィルスと過激な薬物治療と放射能の被ばくに曝された体と脳みそは、その後回復に1年以上を要し、今もなおコロナフォグとかいう脳みそ不全が続いている。

特に物忘れがひどいのだが、私の周りの人々は皆、声を揃えて「元からや」と言うのだ。

ベッドから月を見ていたな。

ブログ再開しようか。。

2023年初めてのごみ収集日だった。来週と思っていたので油断していた。

ゴミ収集車の音楽が聞こえてきたので慌ててベッドから飛び起き、ベランダのゴミ袋をかき集めて持って出た。

「おめでとうございます」。一応挨拶してゴミ袋を渡すと、感じよいお兄さんが笑いながら受け取ってくれた。気分の良い良い年始めだ

しかし、年末から始めたはずの大掃除は年を越し、三が日には終わらなかったばかりか、余計に散らかってしまった。明日からまた仕事が始まる。掃除も仕事の準備もできないままに、毎年同じことの繰り返し。

以前、ブログを開始したもののすぐに中断してしまい、 そのうち再開しようと思って放置していたら、前回書いたブログは2018年になっていた。時間がどんどん加速している。若い頃には予想できなかったスピード感だ。

洗濯機の脱水が加速して、悲鳴のような音に変わり、ぶつんと終わる。フタを開けると、洗濯物はあらかた水分を飛ばされて、洗濯ドラムの壁面に張り付いている。

やっぱりブログは再開しようかな。記憶がどんどん飛んでいくから、少しでも記憶に残しておきたいしね。

 

昨年行った「神麻続機殿鎮守神」(かんおくはたどののまもりのかみ)の鳥居内から。

お伊勢さん125社のひとつ。麻布を機織りするカミ様だ。

台風なのに働く人たち、台風だから働く人たち

窓の外のニレの木が人間の手みたいに揺れ始めた。

こっちこいよー、遊ぼうよーと言ってるようでもある。アルミサッシの内側の安全圏からコーヒー飲んでぼんやりと眺めている私。

するとゴミ収集車の音楽が聞こえてきた。そう言えば、今日は資源ゴミの日だった。しかし、こんな日でも収集してくれるのか。台風なのに。大阪湾の防潮扉を閉めたり、河川の土嚢を積んだりする人たちは、台風の前は大忙しだろう。大病院に勤務している友人もしっかり出勤していた。風が激しくなってきたのでもう家には帰れない。お泊り勤務になるだろう。患者さんたちもいるしね。

 

台風なのに働く人たち、台風だから働く人たち。感謝します。のんびりコーヒー飲んでてほんとに申し訳ないわ。

台風前のコンビニは大繁盛

雲の向こうには青空が覗いている。朝っぱらから台風の警報が鳴り響いてるんだけど、ツクツクボーシが鳴いてるのでまだ大丈夫だろう。風が涼しくて気持ちいい朝だ。昨日あれだけ買い込んだのに、今朝また近所のコンビニに行ってきた。

台風前のコンビニは大繁盛だった。店内の商品がすっからかんになってるけど、コンビニの大型トラックが横付けされてて、すぐ補充されていく。こりゃギリギリまで閉められませんな。

そうそう、台風のニュースでは、必ずと言っていいほど、どこかのおじいちゃんが田んぼの用水路を見に行って亡くなっている。家族はきっと注意しているんだろうけど、その時は「わかった、もう行かん」と返事してても、ちょっと目を離すと黙って行ってしまう。ご家族はどうぞしっかり見張っといて欲しい。田んぼが心配なのはよくわかるけど、長生きしてもらわんとね。

台風だ、わっしょい!

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台風21号(お名前はチェービー)が明日の午後、日本列島に上陸するらしい。今はまだ風もなくて静かだけど、夕方になってもセミが鳴いているところをみると、明日はやっぱりやばいのかもしれない。今年は何度も台風が来ているので、電車も早めに明日の運休を決めているし、デパートもお休みになるんだと。経験に学ぶのは良いことである。

私は先週末、買い物に行かなかったので、仕事帰りにスーパーに立ち寄ったら、「わっしょい、ドンドン(太鼓の音)わっしょい、ドンドン」と賑やかなバックミュージックが流れていた。

明日は台風だ、わっしょい!お菓子も缶チューハイもわっしょい、わっしょいと買い物かごに投げ込んだ。買い物かごは手が痛くなるほどいっぱいになってしまった。食費を減らそうなんてどの口が言ったのだ。でもいいさ。明日は台風だもの。

子供のころ、台風が来るというと、お母ちゃんがおにぎり作って、お父ちゃんが雨戸を板で打ち付けて、やっぱりわっしょい、わっしょいしてたな。危険が迫っていると思うとアドレナリンが出るんだろう。日本は本当に自然災害の多い国だ。みんなでわっしょい、わっしょいと生き延びよう。またあちこちで被害がでないことを祈りつつ。