もう犬猫は飼えない

毎日必ずYoutubeでお気に入りの犬と猫の出てくる動画を見ている。特に佐渡島スローライフをしている「タイピー日記」の犬と猫がお気に入りだ。「絶望ライン工チャンネル」の柴犬のたまこちゃんもかわいい。

子供の頃から、家には必ず犬と猫がいた。だから両方とも好きで、できればまた飼いたいなと思う。でも今は、猫は原則、室内飼いなので、猫砂を用意したり、犬も必ずリードをつけて散歩しないといけない。室内ではペットシーツなども必要だ。お金掛かるわ。

そんなの当たり前だと思うかも知れないが、私の子供の頃は、犬は必ず外飼いで、猫は室内で飼っていたが、勝手に出歩いていた。猫のように座敷で飼うのは、「狆(ちん)」とかいう小さい犬だけで、お座敷犬と呼ばれていた。

当時、私の住んでいた地域では、犬をつないで飼うという習慣がなかった。首輪をしているのが飼い犬で、ないのが野良犬だった。普段は家の庭でゴロゴロしていたが、時々田畑をほっつき歩いたり、結構遠い所まで遊びに行ったりもしていた。人を咬む性分の犬は、「咬み犬」と呼ばれて、やむなく保健所に連れていかれたが、野良犬でも人懐っこい犬は、それなりに可愛がられて生きていた。

しかし、野良犬と野犬は区別され、野犬は野生に帰って群れをなし、子供を襲ったりするので保健所が捕獲しに来ていた。

また当時は「犬取り」と呼ばれるのも来た。野良犬も飼い犬も、犬取りにさらわれると犬肉として売られるという話しだった。猫もたまに取られたが、猫は三味線の皮にされるということだった。

「犬取りが出た」という噂が村に伝わると、うちの犬が取られては大変と、その時は取られないように鎖でつないだのである。

猫はネズミ捕り、犬は番犬というそれぞれの任務があり、ネズミを見たら逃げ出す猫も、誰にでも尻尾を振る犬でも一応その肩書があったから餌を貰えていた。

犬も猫も排泄の世話などしたことはなく、勝手にどこかで済ませてくる。そして死ぬときは、犬も猫も決して飼い主に死ぬところを見せず、ある日ふといなくなった。それで「死んだんだな」思った。人間に飼われていても、野生の尊厳を持っていたのだ。

今は猫も犬も、人間に全部依存したペットと化しているので、昔のような飼い方はもうできない。もう私には猫も犬も飼えないなと思う。

そして私自身も生き物としての自然を失い、自分の死ぬ時もわからなくなっている。

 

雪はないけど、凍っている。これをブラックアイスバーンという。

一番怖いやつ。