親ガチャですと

ガチャガチャ回したらどんな物が出てくるのか。出てきてみないとわからない。
裕福な親だったらラッキー、そうでなければアンラッキー。
キムタクや、藤井フミヤの子供に生まれたらラッキーって、まあそりゃそうだわね。

親ガチャというなら、子ガチャもあるわけで。スピリチャル系の方々によると、こどもは実は親を選んで生まれてくるとか。それはようわからんが、「生んでくれと頼んだ覚えはない」なんて、大抵の子供は一度くらい親に言ってるんじゃないのかな。そういう私も中学か高校の時に言った覚えがある。そして「もう私は死んだと思って放っておいてくれ」って、ずいぶん酷い子供であった。

大人になって思うのは、現代の日本に生まれただけでも相当な当たりガチャだ。まあ色々地獄を抱えている子供もいるだろうから、一概には言えないけどね。

小学校の頃、道徳の時間に人間は平等だと習った。でも家はお金持ちで可愛くて、おまけに勉強もできる子と、貧乏な上に不細工でアタマも悪い子がいるのはなぜだ。全然平等じゃないじゃん。

「平等って何だ?」と周囲の大人に質問をぶつけた。
大人たちは、「人間って言うのはね、一見恵まれて幸せそうに見えても裏はわからないもんなんだよ」と言った。けれど私はその答えには合点がいかなかった。
それなら、生まれてすぐ酷い目にあって死んでしまう子供だっているじゃないか。それでも平等なんて言えるのか。大人の答えは答えになってなかった。

毎日悶々と布団の中で考え続け、何と、その問いに対する答えを自分自身で導き出したのだった。

「結局人間は、生まれて死ぬことだけが平等なんだ」と。魚が海からぴょんと跳ねて、またドブンと戻っていく。ただそれだけ。

「海底に棲む魚族のように、自らが光らねばどこにも光はない」というのは、らい病で苦しんだ俳人、明石海人のことばである。

どこで、どんな親の下で、どんな体に生まれようと、生まれてから死ぬまでの間、とにかく自分で足掻いて、少しでもより良く生きるしかないのだ。

私は小学生の頃が最高に賢かった。それ以降はどんどん堕ちて阿呆になっている。


懐かしの沖縄。早く元気になって行きたいなぁ。この時に一緒に行った年下の友人はもういない。