骨が折れた。そしてコロナになった。

ブログを書かなかった期間、何事もなかったような気がしていたのだけど、書き始めるといろいろ思い出してきた。確か、2年前の夏にコロナに罹った。デルタ株とかいう初期の極悪バージョンだったと思う。

金曜日に定時きっかりタイムカードを打刻して、「そんじゃー良い週末を」とか言って事務所のドアを開け、10メートルも行かないうちに廊下で派手に転んだ。全体重が左腕に掛かったらしく、折れていた。利き腕でなくて良かったわいと思って病院に行ったら、脇の下から掌の半分くらいまでギブスを巻かれ、「あのね、ギプスをはめると不便なんだよー」と整形外科の医師が笑いながら言った。

不便ではあるが仕方ないさと思っていたら、1週間後にコロナになった。

発熱の仕方が風邪でないことはすぐにわかった。骨折を直そうと、体中の免疫細胞が左腕に集結したのでお留守になったのね。

解熱剤は普段から各種取り揃えているが、仕事を休まねばならんのであちこち電話を掛けまくって、ようやく市の救急センターで抗原検査を受けることができた。仮設テントの中で鼻の奥をぐりぐりされ、10数分後には「はい、コロナ出ましたー」と検査室の奥で声が聞こえた。

その後、何とか自宅にたどり着いたら、すでに救急センターから保健所に通報が入っていたらしく、1時間後にはコロナ専用救急車がお迎えに来て病院に連れていかれた。なんやらハイリスク人間に該当するのだと。高熱以外、咳もなければ呼吸が苦しいわけでもなかったのだけど、自宅にいたら急変するパターンだったようで、第4波と第5波の間だったので運よく入院できたらしい。

毎朝ヤクルト1本分の採血と、元トランプ大統領が受けたという点滴治療を2クールやって、一粒三千円の新薬を服用し、四日に一度CT検査を受け、ようやくPCRがマイナスになった。すると「んじゃ、これからすぐ出てって」とドクターが言った。「お迎えが・・」とか言うのも一切聞いてもらえず、一人でよろよろとスーツケースを引きずって17日目に娑婆に放り出されたのであった。コロナウィルスと過激な薬物治療と放射能の被ばくに曝された体と脳みそは、その後回復に1年以上を要し、今もなおコロナフォグとかいう脳みそ不全が続いている。

特に物忘れがひどいのだが、私の周りの人々は皆、声を揃えて「元からや」と言うのだ。

ベッドから月を見ていたな。