情弱アニマル

数年前、ドコモの携帯電話を新しくしようとドコモショップに行った。詳しい説明を聞くには予約が必要なのだが、近所のドコモショップでは予約はweb予約のみで、順番待ちをすると3時間ほど掛かると言う。それで職場の近くのドコモに行くと、電話受付してくれたので予約を取って、仕事帰りに立ち寄った。

当日、新規機種を購入希望で説明を聞いていると、携帯の価格に加え、「頭金」というのが1万5千円掛かると言う。「頭金」なら本体購入するときに返金されるのかと聞けば、返金はされないという。では「頭金」は何の意味があるのかと聞いても、店員さんは薄笑いするばかりで、嫌になって購入を止めた。

違う日に別のドコモショップで機種を見ていると、人の好さそうな若い店員のお兄さんが寄ってきた。「頭金」について聞いてみたら、その店では「頭金」は7500円で、購入時には7500円は本体代から割り引いてくれると言う。
前のショップでは1万5千円で、おまけに返金されないと言うと、ドコモショップは店舗によって異なるのだと教えてくれた。そんなん知らなかったわ。

ネットが使えるのならWebで購入し、店舗で受け取りにすれば、電話番号の引継などの手続きは全部店でやってくれると言う。(今はやってくれないらしいが)
それでインターネットのドコモのネットショップで購入し、最初の店舗での受け取りにしたらすべて無料でやってくれた。あの「頭金」の1万5千円は何やったん?
情報弱者の年寄りは、ドコモショップで3時間待たされ、その上1万5千円を取られるのか。アブナイ、アブナイ。

最近、自宅のインターネットとの関係で、UQモバイルが安くなるというので、長年使っていたドコモからUQモバイルに思い切って変更した。すると、使い勝手は全く変わらず、利用料金は三分の一になった。格安携帯って、そういうことなのね。

ドコモカードはもう使わないので解約しようと電話を掛けたのだが、掛けても掛けてもつながらない。解約は電話オンリーで、ネットでも店舗でもできない。申し込みは店舗でやったのに。時間帯を変え、曜日を変え、何十回となく掛けても、全くつながらない。

ネットで検索すると、「ドコモカード 電話 つながらない」がたくさん出てくる。
多分一生つながらないシステムになっているのだろう。

カードの年会費が無料になったので、そのまま放置していればいいのかもしれないが、使いもしないカードの数を減らしたい。カードの更新時期には勝手に新規カードを送りつけてくるのに。

結局、情弱アニマルは、ネアンデルタール人のように滅びていくしかないのかね。

 

お散歩途中。

日常の心がほっと明るくなる時。拡大すると爪も見えるわ。

 

パクチーと鶏肉

パクチーとは何ぞや。アジアで食されている三つ葉みたいな香草のことで、これがどうしても食べられない遺伝子があるのだと。嗅覚の受容体遺伝子が少し異なっていて、パクチーの匂いがカメムシの臭いに感じるんだって。確かに周囲には何人かパクチーがダメという人がいる。
私は全く大丈夫で、ベトナムのフォーには山盛り入れて食べている。
その代わりでもないが、私は鶏肉が全く食べられない。まずは臭いがダメだし、何となく気持ちが受け付けない。おまけに鶏肉は人間っぽいような気がするって、恐ろしいことを書いてしまう。鶏の足なんて見てごらん。ああ恐ろしや。と言いつつ、豚と牛は食べてますけどね。

コンビニに行くとチキンバーみたいなのがたくさん売っているし、お弁当を買っても、唐揚げがひとつ入っていたりする。私はそんなおまけは迷惑なんだが、唐揚げ好きな人は多いので仕方ない。
周囲を見渡すと、10人にひとりくらい鶏肉キライがいるような気がするのは、自分がキライだからか。
何でそんなに鶏肉がキライなのか。子供の頃に鳥をさばくところを見たことがあるが、その時は特に怖いとか思わずに興味深く観察していたから、それが原因かどうかはわからない。

そこで考えた。鳥は恐竜から進化した説だ。

遥か昔、まだ人類がネズミみたいな哺乳類だった頃、何度も何度も恐竜に食われたに違いない。食われた回数が多い奴は恐怖がDNAに刻み込まれているんだと。

友達にしたり顔で説明したら、「えらい長いPTSDやな」と鼻で笑われた。

この説は結構気に入っていたのだけどな。まあ現代の日本では、鳥を食べなくてもたんぱく質には困らないのでよしとしよう。

買ったばかりの無印のごみ箱。電気ストーブが近くて穴が開いた。

結構悩んで買ったのに。というより、気をつけないとアブナイねー。

 

親ガチャですと

ガチャガチャ回したらどんな物が出てくるのか。出てきてみないとわからない。
裕福な親だったらラッキー、そうでなければアンラッキー。
キムタクや、藤井フミヤの子供に生まれたらラッキーって、まあそりゃそうだわね。

親ガチャというなら、子ガチャもあるわけで。スピリチャル系の方々によると、こどもは実は親を選んで生まれてくるとか。それはようわからんが、「生んでくれと頼んだ覚えはない」なんて、大抵の子供は一度くらい親に言ってるんじゃないのかな。そういう私も中学か高校の時に言った覚えがある。そして「もう私は死んだと思って放っておいてくれ」って、ずいぶん酷い子供であった。

大人になって思うのは、現代の日本に生まれただけでも相当な当たりガチャだ。まあ色々地獄を抱えている子供もいるだろうから、一概には言えないけどね。

小学校の頃、道徳の時間に人間は平等だと習った。でも家はお金持ちで可愛くて、おまけに勉強もできる子と、貧乏な上に不細工でアタマも悪い子がいるのはなぜだ。全然平等じゃないじゃん。

「平等って何だ?」と周囲の大人に質問をぶつけた。
大人たちは、「人間って言うのはね、一見恵まれて幸せそうに見えても裏はわからないもんなんだよ」と言った。けれど私はその答えには合点がいかなかった。
それなら、生まれてすぐ酷い目にあって死んでしまう子供だっているじゃないか。それでも平等なんて言えるのか。大人の答えは答えになってなかった。

毎日悶々と布団の中で考え続け、何と、その問いに対する答えを自分自身で導き出したのだった。

「結局人間は、生まれて死ぬことだけが平等なんだ」と。魚が海からぴょんと跳ねて、またドブンと戻っていく。ただそれだけ。

「海底に棲む魚族のように、自らが光らねばどこにも光はない」というのは、らい病で苦しんだ俳人、明石海人のことばである。

どこで、どんな親の下で、どんな体に生まれようと、生まれてから死ぬまでの間、とにかく自分で足掻いて、少しでもより良く生きるしかないのだ。

私は小学生の頃が最高に賢かった。それ以降はどんどん堕ちて阿呆になっている。


懐かしの沖縄。早く元気になって行きたいなぁ。この時に一緒に行った年下の友人はもういない。





 

 

 

 

 

 

 

 

花粉症は一応治ったんだけど

ここ10年ほど花粉症が軽くなったというか、ほとんど治っている。
花粉症を発症したのは30年以上前、父親が亡くなった時のこと。物凄い風邪を引いていた時で、葬式では声が全く出なくなり体調が最悪になった。そしてやっと体調が回復してきたと思ったら、今度は突然花粉症を発症し、それ以降、毎年花粉症に苦しむことになった。それまでは花粉症なんて他人事だったのに。

それが何と、今では花粉症がとても軽くなっている。                   思い当たることと言えば、その頃からヨーグルトを毎日食べ始めたことくらい。SNSで見たのがきっかけだったと思う。ヨーグルトでも生乳100%で、花粉症が出始めるずっと前から食べ始める。他に思い当たることがないので、やっぱりヨーグルトだな。

最近、乳がん予防とかで豆乳ヨーグルトも食べているが、コロナに罹って味覚がやられていた時にも牛乳はおいしかった。

腸内環境が整えばいいように思うので、人によっては味噌汁とか納豆でもいいように思うのだけど、私は子供の頃から乳製品をたくさん食べて育ってきたので、私の体質に合っていたのかも知れない。
まあ、それでまた少しずつ乳製品を摂り始めた。牛乳余っているみたいだしね。

でもコロナ以降、今度は全身のかゆみがひどくなって、慢性アレルギーと言われた。今は、カイカイがひどい時だけアレルギーの薬を飲んでいるのだが、こっちも薬を飲まなくて済む方法を模索している。

大体、自己免疫疾患というのは自分自身を間違えて攻撃しているわけで、長年仲良くやってきたのに、何か気に入らないことがあったのなら教えて欲しい。

人付き合いは下手だが、自分の体との付き合い方も難しいもんだな。

たまに若ぶった物を飲んだりしている。予想外にうまかった。

鬼は来たのか、去ったのか

病気の話しばかりになってしまうが、年のせいというよりは、もともと体が弱いのであった。職場でインフルエンザが流行していたので、私も流行に乗り、頭痛、高熱で確実にインフルエンザだろうと思ったが、かかりつけ医はすでに患者でパンクしていて受診できなかった。

かかりつけ医の近くの開業医に行ったが「インフルエンザではありません、コロナはうちでは検査できません」と言われた。かかりつけ医は満員なのに、ここはガラ空きだった。そっけない先生の顔を見ると、人気のない理由はよくわかったが、今回は仕方ない。                                     コロナ検査キットを購入して自己検査してみたが、コロナも陰性だった。とりあえず貰った薬を飲んで熱は下がり、頭痛もほぼ治まった。が、しんどい、咳が続く。これがただの風邪だというのか。        

友人たちからは「コロナの後遺症がベースにあるから無理せんように」との忠告を受けたので、仕事はずいぶん休ませてもらった。7日以上経つような気がするが、まだ呼吸がおかしい。なるほど、弱るとコロナの後遺症が再び顔を出すのか。しつこいぜ。
節分にもらったお豆の袋がかわいいと思って写真を撮っていたが、すでにバレンタインデーになっていた。
とりあえずチョコレートを事務所の机にばらまき、ヘロヘロになって半日有給をもらって帰ってきた。いつになったらすっきり元気になれるのか。
だんだんすべてが重荷になってきた。もう少しだけ元気になったら物を捨てていこうと思い始めた。大きな家具も全部捨ててしまえ。でも物を捨てるのもお金が掛かる。結構掛かる。そしてひとりじゃできない。                            

昔の「暮らしの手帳」という雑誌で、家具を持たずに段ボールの引き出しだけで暮らしている女性の話しがあった。段ボールの引き出しと言っても、カラフルでしっかりした専用のものだが、今みたいにプラスチックの引き出しがなかったので、机も段ボールの引き出しに板を渡しただけで、引っ越し屋さんに「こんなに楽な引っ越しは初めてだ」と言われたという。この方は病気をして重いものを持てなくなったので、自分でいろいろ考えて段ボールの引き出しに落ちついたのだと。
思えば、20代で1Kのひとり暮らしに始まり、引っ越しを重ねて部屋が広くなるにつれ荷物も拡張していった。でもこれからは縮小していって、体も心も羽のように身軽になれればいいなと思うのであった。

こんな鬼なら居てもええか。

病める時も健やかなる時もひとり

再びやってしまったかも。朝から肺に少し炎症がありそう。咳はほとんど出ないけど。
まだ体温37度だけど、何やらぞくぞくする。スーパーでビタミン剤とビタミン系ドリンクを買っておけば良かった。

今時はインフルとコロナと風邪の区別がつかない。明日、高熱が出たら「高熱外来」に行こうと検索したら、近所に一か所だけあった。良かった、私の信頼するかかりつけ医だった。

コロナの後、後遺症も含めて、経過観察をするための病院探しに困った。退院したら近所の総合病院に行くつもりだったのに、コロナ関係は一切診ませんだと。「もう退院していて感染のリスクもないと言われたんですが」と言っても無駄だった。

仕方なく、大阪府の後遺症外来の検索をしたら、何やらコミュニケーションが難しい若い男性が出てきて(バイトだろう)、45分以上延々と同じことをエンドレスに問診する。もう疲れ果てて病院だけ教えてくれと言ったら、近くにはないという。なんやねん。自宅からずいぶん離れた胃腸病院の名前を言ったので、一応電話を掛けてみた。

すると、コロナ関係は診ないという。大阪府の後遺症外来検索のところから紹介されたと言うと、「えっ!」と驚いて、電話を30分もたらいまわしにした挙句、「毎日診察のドクターが変わるので、毎朝電話を掛けてきて、その日のドクターが診ると言ったら来てください」だと。もう死にそうになった。

そういう訳で、退院後は受診できないまま、ひと月以上経過してしまった。まだ満足に歩けないし、頭もおかしかったのに。
職場からは、療養費の申請書を提出するように言われるのだが、医療機関に申請書を書いてもらわないといけない。その医療機関が見当たらない。仕事をしていると、近所に「かかりつけ医」なんていないのだ。

ダメ元で、歩いて5分(当時は15分かかった)の小さい診療所に電話したら、はきはきした若い女性のドクターが、「診ますよ」「書類も書きます」と言ってくれた。ありふれた言い方だが、地獄に仏だった。

退院して2週間以上経っているので、もう感染力はないと言って、本当にじっくりと聴診器で肺の音を聞いてくれた。聴診器をしっかり使う医師は本物である。そしてそれ以降、ずっと経過観察もきちんとしてもらえた。

話を聞いていると、実によく勉強していて、「学会でもいろんな報告がなされているので、どちらがいいかは決められないけど、、」と言いつつ、自分の意見をはっきり言ってくれる。「手術すれば生存率は55%、しなければ45%。どちらにするのもあなたの自由な選択です。さあ、どうぞ」というのは本物ではない。究極の選択ができるように応援するのがほんまもんだよ。

それ以降、私の「かかりつけ医」に勝手に決めさせてもらった。若い医師なので、どうぞ健康に気を付けて私より長生きして欲しい。今回も職場の人の言うことなんか聞かずに、まず「かかりつけ医」に相談すれば良かったな。

「私はひとりが好き」とか言うてるYoutuberとかブログは多いけど、結局ひとりというのは、こういうことなんだよん。病める時も健やかな時も、ひとりがいいと言うのならほんとにひとりが好きなんだろう。
私は、昔からしんどい家族だったので、何も期待していないのがいいのかも。     ま、そういうことで、ぞくぞくし始めたので、背中にホッカイロを2枚貼り付けた。           加湿器もオン、濡れマスク装用、枕元に水分。これから金柑はちみつ飲んで寝る。  

明日はどうなっているやら。

朝、天気は良かったんだけど、午後から変な雲と太陽さん。               右側は龍神さんにも見えるな。縁起はかつがないけどね。

 

もう犬猫は飼えない

毎日必ずYoutubeでお気に入りの犬と猫の出てくる動画を見ている。特に佐渡島スローライフをしている「タイピー日記」の犬と猫がお気に入りだ。「絶望ライン工チャンネル」の柴犬のたまこちゃんもかわいい。

子供の頃から、家には必ず犬と猫がいた。だから両方とも好きで、できればまた飼いたいなと思う。でも今は、猫は原則、室内飼いなので、猫砂を用意したり、犬も必ずリードをつけて散歩しないといけない。室内ではペットシーツなども必要だ。お金掛かるわ。

そんなの当たり前だと思うかも知れないが、私の子供の頃は、犬は必ず外飼いで、猫は室内で飼っていたが、勝手に出歩いていた。猫のように座敷で飼うのは、「狆(ちん)」とかいう小さい犬だけで、お座敷犬と呼ばれていた。

当時、私の住んでいた地域では、犬をつないで飼うという習慣がなかった。首輪をしているのが飼い犬で、ないのが野良犬だった。普段は家の庭でゴロゴロしていたが、時々田畑をほっつき歩いたり、結構遠い所まで遊びに行ったりもしていた。人を咬む性分の犬は、「咬み犬」と呼ばれて、やむなく保健所に連れていかれたが、野良犬でも人懐っこい犬は、それなりに可愛がられて生きていた。

しかし、野良犬と野犬は区別され、野犬は野生に帰って群れをなし、子供を襲ったりするので保健所が捕獲しに来ていた。

また当時は「犬取り」と呼ばれるのも来た。野良犬も飼い犬も、犬取りにさらわれると犬肉として売られるという話しだった。猫もたまに取られたが、猫は三味線の皮にされるということだった。

「犬取りが出た」という噂が村に伝わると、うちの犬が取られては大変と、その時は取られないように鎖でつないだのである。

猫はネズミ捕り、犬は番犬というそれぞれの任務があり、ネズミを見たら逃げ出す猫も、誰にでも尻尾を振る犬でも一応その肩書があったから餌を貰えていた。

犬も猫も排泄の世話などしたことはなく、勝手にどこかで済ませてくる。そして死ぬときは、犬も猫も決して飼い主に死ぬところを見せず、ある日ふといなくなった。それで「死んだんだな」思った。人間に飼われていても、野生の尊厳を持っていたのだ。

今は猫も犬も、人間に全部依存したペットと化しているので、昔のような飼い方はもうできない。もう私には猫も犬も飼えないなと思う。

そして私自身も生き物としての自然を失い、自分の死ぬ時もわからなくなっている。

 

雪はないけど、凍っている。これをブラックアイスバーンという。

一番怖いやつ。